震災から6年経った現在も活動を続ける小松原ゆかりさん。現在、南相馬市小高地区でのサロン活動、いわき市の災害公営住宅での健康運動講座の講師として活動しています。川内村からのSOSを受けて、心身ともに疲弊する村職員の方々を対象とした講座を初めて開くことになりました。
新幹線の郡山駅から車で2時間弱の距離にある川内村は、福島県双葉郡にある人口2千人ほどのちいさな村。信号や看板を目にすることはほとんどない。目には萌黄色の若葉が揺れ、耳には鳥のさえずりと川内村名物のカエルの合唱が出迎えてくれる。
東日本大震災後、世界の医療団はここ川内村にて、精神科医を中心とした住民向けの認知症講座を開催するなど継続的な支援をしてきた。支援者向けの運動講座を行うために、健康運動実践指導者である私が今回はじめてこの村を訪れた。運動講座の会場に到着すると、役場の職員さんが「こんな遠くまでもうしわけない」と頭を下げながら駆け寄ってくる。そして、会って数秒の私にむかって「支援者がつぶれそうなんです」と悲鳴に近い心の内を明かした。
震災から6年、東北で支援を続けてきた私の主観かもしれないが、東北人は我慢強いという印象がある。このつぶれそうという言葉に、今すぐなんとかしなければならないと直感的に思った。
このレポートをお読みの方は、人口2千人の小さな村でなにがそんなに大変なんだろうかと思われるかもしれない。初対面の私も彼らがいう「つぶれそうなほどの大変さ」を正確に理解していないのだろう。マンパワー不足を指すのかもしれないし、さばききれない業務量のことなのかもしれないが、彼らにとってはそこが問題の核ではなさそうである。コミュニティは大小に関わらず、小さな村だからこそ公私の境目がぼやけることがある。見えなくていいものが見えたり、口を出さずにはいられなかったり、他人の目を常に気にしなければならなかったり、良い面もあるのだがお互いにとって過剰なストレスになることもある。村の気質を熟知している彼らは、支援者という立場に身を置いた瞬間、自身も被災者でありながら常に頑張りスイッチをONにし、アクセル全開でないといけないと思ってしまうのかもしれない。
講座に参加する人たちの中で、自分よりも参加すべき人が他にいる、連れてきたかったという声が聞こえた。震災後に心身のバランスを崩し、休職や退職をする方が増えているという。運動講座に集まった方々の大半は、うつうつとした症状に苦しんでは復活しての繰り返しを経験しているそうだ。だからこそ心身のバランスを崩すことがこわいし、他人事とは思えないのではないかと思う。
ある方から「わたしは力を抜くことができない、どうすれば力を抜けるのか」との質問があった。力を抜きたい理由について「気持ちに余裕がないと手を差し伸べたくても、できないことがある。だからまず自分の心身を健康に保つ必要があると思った」と続けた。その言葉に参加者のほとんどが頷く。彼らの精神状態はい今、細い糸が一本切れたら崩れてしまいそうなぎりぎりの状態。ふんばって、やっと立っているから無意識に力が入ってしまうのではないか。
彼らには1時間半、身をゆだねる体験を徹底的にしていただいた。どこにでもあるような頼りない道具を信頼して身をゆだねるよう伝えるが、壊れそうでこわいという声が聞こえる。時にモノではなく、隣にいる人に寄りかかり物理的に支えてもらう。ここで、参加者たちは力んでいるとお互いにしんどいことに気付いたようだ。力みを手放すことを体感できたあたりから「からだが軽く感じる」という声があちこちから聞こえてくる。力を抜こうと意識するほど力が入る、頑張らなければと追い込むほどに力が入り、パフォーマンスを発揮できないが、ゆだねると心身ともに楽になると気付かれた様子であった。
運動講座が終わった瞬間に「あぁ、今日はいい時間が持てた」と小声でつぶやいた方がいた。
ある方は「川内村の住民は弱い存在だと思っていたが、自分たちが頼ればすごい力を発揮する経験をしたことを思い出した。頼ってはいけないのではなく、頼っていないだけなのかもしれない。」と笑った。川内村の支援者の方々は、自分たちが支えなければという一心でふんばって抱えきれなくなった想いで押しつぶされそうになっている。
「誰かを救う前に、まず自分をととのえる。他者も大事だが、まず自分が最優先なのではないか。」
これは、私が被災地支援で大切にしていることである。震災直後、はじめて大槌町の支援に入ったときに避難所にいたある男性から私自身が言われた言葉である。被災地支援は与えるばかりではなく、与えられるほうが多いと私は思っている。世界の医療団が東日本大震災の支援を通して得た学びは、被災地支援という枠をこえて誰もが実践できることが多い。私たちはこれから少しずつ語らなければいけないと思った。
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