宮城県では養殖・漁がどんどん再開し、海は賑わいを取り戻し、放射線量を気にせず畑仕事も山菜取りも楽しむ、、、完全ではなくとも震災前の日常を取り戻している雰囲気があります。「津波は怖いけど海は好きなんだ」と海を眺める人たち、失ったものに折り合いをつけて生活を再開している方々に出会います。でも福島で目にするものは除染作業とフレコンバックの山、黒い塊がきれいに見事に積み上げられているんです。その近くには耕されることのない田畑。ここで話題に上がるのは東電、原発、放射線。 前向きになったな、頑張っているなって感じる方からも「うちは賠償金が出ないから」「あのうちは賠償金があるから」そんな言葉を聞きます。原発からの距離によって補償内容は変わるため、賠償金の有無で経済面に大きな差が出てきます。それは住民間の心の距離を隔てることになってしまっています。福島には心の折り合いを阻む負の要素がたくさんあるように感じるのです。
私は郡山に住んでいます。同じ福島県でありながら、ここ郡山の人の感覚は東京と大差ないよう感じています。浜通りに来たことのない中通りや会津の人ってたくさんいると思うんです。
居住制限が解除になった南相馬市の小高区もまだまだ人気の少ない街といった感じですね。避難解除が決まっている浪江や富岡町に至っては一部で商店や診療所が再開したものの、歩いている人は全く見かけません。雑草の生い茂る庭に瓦が崩れてしまったままの屋根、そんな家が点在しています。閉鎖された店や病院、放置された田んぼや畑、街中でイノシシとすれ違うことまである、そんな時間が止まったままと感じるような町並みが目につきます。同じ福島県内の人ですらこの現実を感じず生活している人が多いのに、賠償金をもらっているというような情報だけが伝わってしまう、、、、賠償金の有る無しに関わらず、以前の暮らしや仕事を失い故郷が様変わりしてしまったこころの喪失感、、、これはどんなにお金を積まれたとしても解消されることはないと思います。こんなに近い場所でいる人ですらここで起きていることを知らずにいる、そして忘れ去られてしまう、そんな不安を覚えています。実際、ボランティアの数も減っています。3月11日が近づけば報道は増えるけど、過ぎればそれもまた終わる。その繰り返しです。
震災から6年、これまでとは違う精神の問題を抱える人が出てくると思います。帰還が始まってから、これまでフォローされていた人が支援からもれてしまったり、また新たに支援が必要になる人も。支援が届かない人たちを誰が責任を持ってみまもるのか、そんな体制も整わないうちに、復興公営住宅などへの移行が始まってしまいました。こころに病を抱えたまま、ひっそりと暮らしている人がたくさんいるのかと思うと、、、、
活動していて思うのは、サロン活動に出てこない人へのフォローが難しい、支援者の数は減っていく、でも公営住宅ではまだまだこれから。以前住んでいた地域間のしがらみや新しい住まいになじめないなどの理由で、参加しなくなる人も出てきます。男性の参加はもともと少ないんです。
私が派遣されているなごみ(相馬こころのケアセンターなごみ)も含まれますが、こころをケアする人材が圧倒的に不足している気がします。医療関連だけでなく、ボランティア全体が足りません。福島だけでなく、石巻でも新しいボランティアに会うことは少なくなっています。人の足は遠のいてしまっていますが、被災地には時が経った今、生じている問題があり支援が必要な状態はずっと続いています。
相双地域が他の被災地と比べて大きく違うのは、いつ帰ることができるのか先が見えない状態が続くこと、帰ったとしても周辺の人はどうなのか、町は復興するのか、そこにどんな生活が待っているのか、何一つ見えない状況です。もし帰宅しても、人の気配がないあの場所でこころの健康をそこねることなく過ごすことができるのか?これから仮設から出てきて他の地域に移る人、これから住む場を決める人、決めなければならない人、決められない人、永住にするのか、期間はあるのか、いろんな選択がある中でまた取り残されてしまう人がいると思います。
福島県では何年という単位ではなく今後ずっとこころのケアが必要だと、そう思います。震災時に母子が受けた心理的な影響により、情緒や発達に問題を抱える人が増えると言われていますし、今から5年、10年とまたその時に新たな問題は出てくるでしょう。
原発事故の影響で他の地域とは違う問題の根深さ、複雑さ、そしてこころのケアの必要性、ケアする人材の不足、そういったことからまだまだ継続した支援、それを伝えることが大切だと感じています。
現状を知ってほしいという思いがあるからか、福島のことを聞かれるとどうしても暗いことばかり話してしまう自分がいます。でも立ち上がっている方にも出会います。帰還の進まない地域で少しでも街が明るくなるようにと、フリースペースに灯りをともし続ける住民さんがいます。愚痴を言いながら、ため息つきながらも熱く活動を続ける人がたくさんいます。支援を受けて少しずつ前向きになる方、支援を受ける側から地域を引っ張る側になった方もいます。ここでは人の魅力とパワーを感じることができる、だから私はボランティアを続けているのだと思います。