サロン活動に参加した後、かつての同じ地区だった方同士が再会し、お話をしていたのでした。70代から80代、お話を聞いていると独居の方が多いのかなと思いました。震災以前は南相馬市の小高区や浪江町の住民だった方が多く、井戸端会議というよりは、ぽつりぽつりとそれぞれの思いを述べ始めました。
「することねえんだ。畑があったら違うのに。もうそれで十分だよ。お日様の下で畑仕事がしたいんだ。」仮設住まいの時は小さいながらもなすやトマトを育てていたそうです。
「ふきは大丈夫だけど、柚子は食べちゃダメだよ、あんた」
「帰りたい思いでいっぱい。でも誰もいない町に帰っても、生活できねぇ」
「帰りたいけど、帰れない。若い人がいなければ復興なんてできない、でも仕事がない、農業だって、あそこで作ったもんさ、誰も買わない。まだ早いんだ、解除なんて。わしらが帰ったとしても、この世代が死ねば町は消える」
南相馬市小高区は帰宅困難区域を除き昨年7月に避難指示解除、そして浪江町の3月31日の避難解除が本日発表されました。
南相馬市の復興公営住宅の高齢化率(65歳以上)は46.8%、独居率は24.6%
地域の避難解除に伴い小高区に戻るか、この団地に入るか決めなくてはならなかったとのこと、仮設にいたかったと彼女たちは話します。これまで地域単位での仮設住まいだったのが、解除により行く先々はバラバラとなってしまうのです。
それだけではありません。賠償補償がある人、ない人、補償がないのにあると思われている人、補償によって生まれた軋轢、家族との別れ、そして環境の変化は人に大きなストレスを及ぼします。何より医療・保健・福祉人材が不足するなかで、みまもりからもれてしまう人がいないよう、現場では想像を超える奮闘が続いています。そして支援する皆さんのほとんどもまた被災者なのです。
事故で住まいやかつての暮らしを失い、翻弄され、数年かけてやっと築いたコミュニティも、避難解除に伴い選択肢がないといえるような状態での移転で崩壊してしまいました。そして、そんな思いをしている彼女たちの声が社会や行政に届くことはなかなかありません。
巨大な復興公営住宅の片隅で、かつてのご近所さんたちに会って、時間を惜しんで話す彼女たちの姿を見て、コミュニティ、人とのつながりの大切さを改めて考えさせられました。帰還を急かしたり、帰るのか帰らないのかの選択を迫るようなことがあってはなりません。住民一人ひとりのこころの準備と地域の受け入れ態勢が整った上で始めて、住民自身が住む場所を選択できるような取組みが必要とされています。