地震の時、どうしていましたか?
最初の揺れで私たちは恐怖に襲われました。自分たちの周りの何もかもが大きく動いていました。すぐに家から出て庭に避難しました。建造物は倒壊するかもしれないので、できるだけ離れました。一番つらかったのは最初の揺れ自体と同じぐらい、その後の48時間続いた余震でした。60回もの余震があり、マグニチュード6.7の及んだものもありました。
被災後3日は庭に張ったテントで寝ました。振り返ってみれば、私たちはついていたと思います。事務所のある地域では大規模な建物の被害はありませんでした。水、食料のストックも十分にあり、スタッフの家族で家を失った方々や、近所の方々、また他団体の方々を受け入れることができました。
72時間は建物の中には入りませんでした。その後、巨大余震に対する警戒が正式に解除されました。
非常事態に直面し、まず、どうしましたか?
とても心配だったのはすべてのネパール人スタッフの無事でした。それぞれの状況を把握する為、連絡を取り合い、全員が安全な場所にいることを確認しました。その時の通信状況は大変悪く、48時間もの間、無事を確認できないスタッフもいました。最終的にチーム全員が無事であることが分かったものの、半数の7名が家を失っていました。月曜の朝、移動が可能な程度に状況が安定したため、全員が出勤し、事務所で再会した時の喜びは忘れられません。発災時はカトゥマンドゥに居た者、そして活動地のシンドゥパルチュック郡のチョタラに居た者がありました。チョタラ出身のスタッフのうち、依然として近親者の無事の確認をできていない者もいます。活動のパートナー団体の所長は父親を地震で喪ったとも聞いています。未だ、被害の全容を推し測るには早いのです。
現在の状況はどうですか?
当初、被災者数も負傷者数も分かりませんでした。最終的に、被害が最も甚大なのは私たちが活動するシンドゥパルチュック郡であることが明らかになってきました。現状、どの組織もまだシンドゥパルチュック郡へ到達できておらず、住民たちは支援を受けられないままです。現地には被災者に対応するだけのICUはなく、外科治療も足りず、病院は負傷者を収容するにはベッド数が不足しすぎています。安全面も懸念で、建物が崩壊の危険があるため外の地面で治療を受けていた患者もいたほどです。
カトゥマンドゥでは家を失った方々、崩壊の危険がある方々を受け入れるためのキャンプが複数出来上がってきています。そこでは水、衛生設備、食糧が不足しています。特に衛生環境は劣悪で、そのために具合を悪くする人が出るほどです。けれども、多くの病院が崩壊し、残った病院もパンク寸前なのです。
<ご支援ください>
震災前から、世界の医療団はネパールで母と子の命を救うための母子保健活動を行っていました。今回の大地震を受け、医師、看護師、ロジスティシャンからなる12名の緊急医療支援チーム、そして15~20トンの緊急医療物資をパリから輸送し、緊急事態に対応しています。
被害は甚大さを極めています。もともと脆弱だった医療システムも壊滅的な被害を受けており、急性期・亜急性期を過ぎた後の中長期にわたる支援が必要になることは明白です。
被災したネパールに方々へ、皆様らからの温かいご支援をお願いします。
ご寄付は こちら から
<写真>
上:世界の医療団が現地で運営する医療施設
下:世界の医療団 フランス 母子保健ミッション
現地責任者ソフィ・ベラック