東日本大震災:福島そうそう現地医療活動レポート11

今回は、協働している「相馬広域こころのケアセンターなごみ」の相馬事務所で、こころのケアを担当している増田看護師のレポートをお届けいたします。

東日本大震災:福島そうそう現地医療活動レポート11
私は、世界の医療団が相馬広域こころのケアセンターなごみと協働して行っている、相馬市の仮設住宅でのサロン活動にボランティアナースとして従事しています。お茶をお出ししてお話を傾聴し、ボール運動や折り紙、連想ゲーム等さまざまなことをしています。時にはホットケーキを被災者の皆さんと一緒に作ったりしています。もちろん、血圧や脈を測定し、健康問題についてのお話もうかがっています。

被災の身体的な影響として、不眠や食欲不振を訴えられる方がおられます。また、あれ以来、毎日頭痛が続いているかたもいらっしゃいます。4年近く経った今も、です。ようやく寝付いても津波の夢を見られる方や、早朝に目が覚めてしまわれる方がいます。おなかがすかなくなったと言われる方もいます。震災の爪痕は心身に大きな影響を与えています。皆さんと一緒にホットケーキ等を食べると、必ず「みんなと一緒だとおいしいね」という言葉が聞かれます。家族を失い、家や愛着のあった身の回りの物が全て一瞬にして津波で流されてしまったのです。ライフスタイルの変化を余儀なくされているのです。

普段食欲がないとおっしゃる方が、ホットケーキを2枚召し上がられたのでびっくりしましたが、集会所に集まった他の被災者の皆さん、私達スタッフと一緒に食べるから食欲がわいたのだと思います。人は人と関わっていく中で、心が癒されていくのだと思います。ライフスタイルが変化し、おせち料理も作らなくなったとみなさんおっしゃいます。鍋やその他の調理器具も流されてしまって・・と。

仮設住宅は一時のその場しのぎの住宅です。狭く、収納場所もありません。最低限の生活必需品以外を置く場所はありません。玄関もありません。夏は暑く、冬は寒いです。また、周囲にお店がありません。車に乗れる人はいいですが、お年寄りはとても不便な思いをされています。病院へ行くのにも、バスで行くのですが、本数が少なく、待ち時間がとても長いです。本当に不便な生活を強いられておられます。

相馬市の方は漁師をされている方が多いです。奥様もご主人が漁から戻られると、その後の港での仕事をされていました。皆さん、仕事がしたいとおっしゃいます。もらった補償金でもし船を買ったとしても、以前のような漁はできません。相馬の海で捕れる魚は制限されています。また量は非常に限られています。ここに、福島の他県と違った問題があります。福島は現在進行形で被災しています。去年の9月に原発の近くを通る国道6号線が全線開通しました。帰宅困難区域でも通ることができます。車のみ窓を閉めて通ることができ、自転車や歩行者は通行できません。6号線に通じる道は全てバリケードが張り巡らされ、右左折ができません。この道を11月に通りましたが、コンビニも、他のお店も店内はそのままに人がいなくなり、寂れてしまっています。空気の淀みを感じました。「猪、牛に注意」などの看板が無数にありました。それだけ荒れてしまっているのです。 遠く離れた地域の人々の電気を賄うための発電所事故により、故郷を離れなければなくなった住民の方々の気持ちを思うとやりきれない思いが募ります。一日も早く、帰宅困難区域の解除がなされ、元の生活に戻れるよう願うばかりです。その意味で、 みんなが福島を忘れないこと、考えていくことが大切です。これからも福島の被災されているみなさんの心に寄り添い、お話を傾聴し、少しでも心が軽くなられるようになっていただきたいと思います。

増田利佳(看護師)

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