NPO法人YOU-I
グループ代表 山田 和夫さん
現在、日本には358万8956人の在留外国人がいます(※2)。そして自然災害は多発・激甚化しています。今回の能登の問題は、今後日本全国どこでも起こりえます。山田さんに当時の状況を語っていただき、災害時にはどんなことが問題になるのか、どんな支援が求められるのか、また、平時からどのようなことに気をつければいいのか、考えるきっかけにできればと思います。
どこにどうやって避難すれば……言語が支援の障壁に
私たちは、石川県にいる外国人が数々の困りごとを抱えているのを目にし、2006年に支援する組織を作りました。しかし、技能実習生の問題があまりにもたくさんあり、NPOでの活動では制約があるということで、特定技能の専門会社を作りました。海外での人材の送り出しから企業とのマッチング、日本での生活支援などを一貫して行います。技能実習生は日本に来るのにブローカーに借金を背負い、日本語教育も満足に受けていません。日本に来て周囲とコミュニケーションが十分にできない状態で、月5~6万円を借金の返済に支払っていかなければ家族が暮らす自国の家がとられてしまう、そんな状況のなかで地震が起きました。
正月の勤務先が休みで技能実習生らが孤立した状態の時でした。電話で「日本人と逃げて」と言っても日本人と一緒でないし、「海から離れて山の方に逃げて」と言っても山はどっちなのかわからず、しかも車がない。また2日には「水がない」と電話がかかってきました。住所を聞くと数軒先に給水所があるのです。でも、日本語で案内があっても彼らには伝わっていなかったのです。また、避難所での生活も難しいものでした。避難所ではマナーや空気を読むことが求められます。物がなければ一人一個ということは言われなくてもみんな守りますが、書いてないからわからない。「避難所の生活がなじまなかった」という話も聞いています。被災した人々に、県の人たちと支援金について多言語で説明して回ることもしました。ただ、実際に制度を利用するには、多言語対応のない役所の窓口で申請用紙をもらって申請書に記入し、提出しなければなりません。制度はあるものの、実際には必要な人に届いていないのです。
物資の支援ルートを緊急に確立、そして情報提供を多言語で
私たちはふだんからSNSで在留外国人たちにつながっていたので、彼らから必要なニーズを聞きすることができました。タイの大使館で働いているスタッフから問い合わせを受け、この町にはタイ人何人が被災している、という情報提供もしました。大使館は全体の人口は把握していても、誰がどこにいるかまでの情報を持っていないので喜ばれました。「とりあえずお米を送ってください」と言ったら、大使館からドーンと20トンのお米が届きました。
能美市に倉庫があると聞き、そこを借りて各方面から大量に届く支援物資を搬入してもらいました。世界の医療団からは感染症対策グッズやハラルフードを支援いただきました。七尾に入れるようになったら七尾市に倉庫を借り、珠洲、穴水、輪島、と現地で活動するNGOさんたちに手渡しまでしてもらうようお願いしました。私はラスト1マイルが大事だと思っています。99%の支援活動では被災者に届きません。どうすれば手元に確実に届くか考えました。また、とにかく「72時間以内に」というのが念頭にあり、いかに迅速に支援を届けるか優先し、お金がかかっても後で工面すればよいと、どんどん先に動きました。物資を提供してくださる方、お金を出してくださる方、運んでくださる方、私たちはご縁があってつながったので、それぞれの持ち味を生かしてチームを作り、より早く現場のニーズに応えていくことができました。石川県で生まれ育った私にとっては、別のところにいるのに石川のために動いていただいた、というのは非常にありがたいことでした。
1月2日には、県と連携し生活相談窓口を10の言語で立ち上げることができました。全国のNPOの方から「これはどういう手品?」と言われましたが、もともと私たちがもっていた窓口をアレンジし県に提供したのです。私たちはこの時点で20の言語に対応する力がありました。
震災直後から毎日メディア4~5社から問い合わせがありました。技能実習生の問題点や日本人と違う困りごとがあることをお伝えするため、NHKの番組にも出演しました。見ていた友人からは「疲れた顔しているな」と言われましたが(笑)。
韓国大使館やウズベキスタン大使館の炊き出しの運営サポートも行いました。

技能実習生の生活再建へ、制度の壁を動かす
地震が起きて3~4日ぐらいは食べるものと住む場所の心配ですが、それがある程度確保されると、今度は借金をどう返そう、勤め先も被災している、仕事は見つからない、という不安で頭がいっぱいになります。技能実習生の転籍問題が壁になりました。技能実習生は最初に申し込んだ職種から変更することができません。たとえば、被災して能登では養殖業がしばらくできないから別の場所で別の業種に就く、ということができません。経営側にとっては、奥能登のふだんから人手不足の場所で働き手を技能実習で補填していたので、彼らを手放したくない。再開したときに人を入れようとすると7~8か月かかり、人がいなければつぶれてしまう。でも、だからと言って給料を支払うわけでない、というとんでもない状況に陥っていました。
1月4日に名古屋の入管に電話をし、特例を出すことを依頼しました。3ヶ月間だけ転職できるという制度ができました。ただ、最初は入管も状況が把握できていなかったのか、金沢で申請すれば、特例で週28時間働けると言います。でも金沢までどうやって行くのか。また、週40時間+残業代で成り立っている生活では週28時間では足りません。3~4日後に入管から専門家チームを組んでヒアリングしたい、という相談を受けました。ボランティアで私たちがオンラインで各地とつなぎ通訳もしました。説明会の運営も手伝いました。

日本語教育支援、再就職支援、支援金受給サポートや課税免除申請もサポートしました。ただ、手続きに1~2ヶ月かかってしまうとフェーズは動いてニーズとずれてきます。支援金が出たときには、本当に困った人たちは本国に帰っていたり、他の県に就職したりしていました。ニーズを追いかけていましたが、後出しになった部分はあり、思ったより効果が出なかったということはあったかもしれません。ただ、ご縁があって石川に来ている人たち、貴重な働き手であるみなさんが、被害にあって借金を背負って帰ることがあってはいけない、私たちが日ごろどうやって地方に人材を引き付けようかと努力しているなかで真逆の動きになってしまうので、何が何でも困っている人たちに何かあれば地域の人が応援するよ、日本の社会が応援しているよ、というのをお見せしたかった。そんな思いで、この1年やってきました。
平時にある社会の問題は非常時に表に出てきます。今回の地震の際もそうでしたが、コロナのときも技能実習生たちはさまざまな壁に直面しました。会社が仕事なくて潰れそうなのに技能実習生雇えるか、と真っ先に切られている方もいました。また、3年いる予定だったのに最初の1年間だけで終了したケースもありました。私たちは、技能実習生を特定技能にランクを上げて転職できるよう支援しました。特定技能は日本語能力テストと業種別試験に合格すれば、最長5年まで16業種での就労が可能になります。当時、お菓子の製造に携わっていた人を教育してテストに合格させ、需要の高い介護職に就職させたこともありました。
多様な人々と共生していくために
日本は少子高齢化社会です。いろんな価値観を持って言葉も違う方と一緒に暮らしていかなければ日本は間違いなく成り立たないのです。奥能登は、8割9割でインドネシアの漁業実習生が支えています。もし明日明後日彼らが全員いなくなれば、私たちが毎日石川県のお魚おいしいよねって言って食べていますけど、それなくなりますから。
私たちは、相手の文化、習慣、価値観の異なる人たちを理解し受け入れていく努力をする必要があると思います。今回も、もし地域の人たちと外国人の方と普段のつながりがあれば、あそこにいるベトナム人の子大丈夫かしら?って声をかけてあげることができたはずですけど、それがないから孤立していたんですよね。やっぱり普段からみなさんがつながって地域として受け入れていくということは大切だと思います。
ふだん、表向きには外国人の排除というのはないのですが、実際には「携帯の契約は在留資格の期間が短いからできません」とか、「アパートは外国人だからNGです」というところは非常に多いです。今も、石川県で苦労して就職内定したのに住む場所がない、という問題を、特に特定技能の人たちが抱えています。口では「差別はしませんよ」と言っていても、そういう線引きがあるのです。そのため、私たちで住まいを確保して、彼らに安心して働いてもらえるような仕組みを作ろうとしています。
よく在留外国人のゴミの問題も出てきますが、日本に送り出されるときに何も教えられていないのです。私たち日本人も同じだと思うんですね。ベトナムで決められたことをやりなさいって言われても教えられてないのにうまくやれるわけがありません。そのあたりもきちんと教育できる環境をこれから整備していかないとと思っています。
去年、事業モデルが珍しい地域密着の人材獲得のための旅行会社を立ち上げました。企業視察とか大学生との交流という人材交流体験型の旅行で地方の魅力を海外の学生に伝え、卒業後に地域に呼び込むための旅行事業です。今後は建築業に参入を考えています。奥能登の復興が進まないのは、建設業の人材不足にも原因があります。私たちの会社の仕事として、人材を建設業界に入れて支援していくことを考えています。さらに、被災された高齢者の方々の支援、塩田など観光としての地域復興なども考えています。
この一年の活動を通じて、企業、大学、大使館、行政、NPO/NGOなど多くの方々とつながることができ、非常に多くのことを学びました。人材支援だけでなく、災害時の支援まで対応できる力が積み上がったと思っています。
※1 令和5年12月末現在 https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kokusai/gaikokujin/documents/r6zairyusikaku.pdf
※2 令和6年6月末現在 https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/13_00047.html