阪神・淡路大震災で犠牲になられた皆様のご冥福を、改めてお祈りします。
「世界の医療団 日本」の始まりは、1995年1月17日に東京にいた現世界の医療団 日本の理事長ガエル・オスタンに、母国フランスからかかってきた国際電話でした。同日早朝に起きた阪神・淡路大震災で、フランスのNGO「Médecins du Monde(メドゥサン・デュ・モンド、以下MdM)」が緊急支援に入りたい、ついてはその手伝いをしてもらいたいという問い合わせでした。
当時ガエル・オスタンは、フランスのMdMとは直接のつながりはありませんでした。ビジネスコンサルティングの会社を経営しており、そのお客様を介して連絡が入ったのです。
神戸の具体的な状況もわからず、外務省に問い合わせたものの断られてしまいました。ところがすでにフランスから医師や後方支援業務担当者など4名が日本に到着していたのです。
日本での医療行為が認められていなかったので、各方面に問い合わせ、人道支援の実績のあるAMDA(現・特定非営利活動法人AMDA)の力を借り、感染症予防対策など、衛生面での支援を実施しました。
オスタンもチームと一緒に神戸に入り、神戸市の長田区役所を拠点にチームのメンバーと寝泊まりし、支援をサポートしました。
現事務局長の米良彰子も当時関西在住で、長田区で支援活動を行っています。外国籍の人が多く暮らす地域でしたが、言葉の壁があり、必要な情報にアクセスできない課題がありました。そこで、仲間とともに多言語ラジオを立ち上げました。
活動を終えたMdMチームからは、「日本にはすごくボランティア精神がある」「ボランティアの人たちの働きに驚いた」との感想が出ました。MdMが日本で十分に活動できるのではないか、という関係者の手ごたえが、のちの団体設立につながっていきます。
オスタンの会社のメンバーの一人は、仕事を続ける一方で、世界の医療団の事務所を立ち上げ、NPO法人としての手続きを進めていきます。また、資金を集めるために、フランスから日本に支援を依頼する手紙を送り、寄付をお願いしました。
こうした多くの方の熱意と尽力で世界の医療団 日本は誕生し、2000年には特定非営利活動法人(NPO)の認証を得ることができました。以降、阪神・淡路大震災での経験をもとに、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震などの震災支援を行うとともに、ロヒンギャ難民支援、ラオスでの地域医療強化プロジェクトハウジングファースト東京プロジェクト、世界各地でのスマイル作戦など、今日に至るまで国内外で活動を続けてきました。
支えてくださった多くの皆様に、改めて感謝申し上げます 。
©MdM Japan