アーメド医師はパレスチナ人です。結婚していて5児の父です。ガザで2002年末から世界の医師団(MdM)の医者として活動するようになりました。 2014年に、アーメドはトルコにおけるシリア危機ミッションの医療コーディネーターとして働くことを打診されました。アーメド医師の家族が当時ガザにいましたが、彼は戦争勃発までの間トルコに4ヶ月間滞在しました。
ガザでの紛争勃発から10日間、アーメド医師はトルコに滞在していました。毎日妻と家族に電話し、常にニュースを追いました。イスラエルでの軍事作戦がすぐには終了せず、地上での侵攻の脅威とともに攻撃がさらにエスカレートすると分かり、休みを取って家族のいるガザに舞い戻りました。紛争開始の10日目にはラファ検問所(エジプト/ガザ地区の国境)を通りガザに入りました。
身体的損傷ややガザ地区の衛生問題だけがガザの人々が直面している唯一の医療問題ではありません。戦争が人々の心にも大きなショックを与えているのです。家屋の破壊により爆撃や銃撃にさらされて生活し非常に危険な状況で学校に避難している人々がいます。避難民は死者や重傷者を目の当たりにしています。
多くの人が家族を失いました。子供たちの間で寝小便は当たり前のことになっています。和平合意がされていない現状では、ガザの人々の将来はまだ不透明です。地上侵攻が開始され、叔母の家が破壊された後、アーメド医師は逃げねばならない時が来たことに気づきました。他のどこにも安全な場所はないのでした。
午前4時、ミサイルが近所に着弾し、アーメド医師は妻と子供を連れて5キロ離れたKhan Yunesの中心地にまで走って逃げました。逃げる途中で、彼の親戚を他の人が安全な場所へと運んでいるのを目撃しました。アーメド医師は、パレスチナ赤十字病院に避難所を見つけ、2週間ボランティア活動を行いました。外科医として手術室で多くの時間を費やしました。アーメドと同僚の医師は、24時間のシフトで働きました。休憩時間は、緊急コールによってしばしば中断されました。手術したほとんどは重傷患者で、高度な手術を必要としました。
「救命のための手術でした」とアーメド医師は語りました。「1人の患者に対して2、3人の外科医が対応しました。時には4〜5時間手術が続くこともありました。2〜3の手術室が同時に使用されました。1人の患者の手術を終えると、別の手術室に移動し、再び手術を開始するのです」。
「この戦争は他の戦争と違います。あまりにも多くの民間人が負傷し、殺戮されました」「私が民間人と言うのは特に女性や子供のことを指しています。これはひどいことです。病院には、おびただしい数の子供たちが運ばれてきました。ほとんどが重傷を負っていて、手厚い(高度な)医療が必要とされていました」。
ガザ地区の外にいる人たちに伝えたいメッセージがあるか聞くとアーメドは躊躇せずにこう述べました。
「私たちは本当にとてもひどい状況に置かれています。ガザの状況を見れば、これは紛争ではなく大地震が起こったものと見間違えることでしょう。 3〜4週間で、2,000人が負傷しました。これは人類の名の下に止めなければなりません。ここでは、ガザの人々が普通の生活を取り戻せるように、保健省と協力しながら世界の医師団はできる限りのことを行っていきます。」