8月18日(木)の夜、オンラインイベント「ロヒンギャ難民問題から5年―世界の医療団の活動を振り返る」を開催しました。5年前の2017年8月25日、ミャンマー軍による迫害で、約70万人のロヒンギャの人々が故郷を追われ、隣国バングラデシュに避難。世界の医療団はその直後の9月から支援を開始し、現在まで5年にわたって活動を続けています。
世界最大の難民危機と言われたロヒンギャ難民問題は長期化し、メディアでの報道も減っています。今回のイベントでは、ますます厳しくなっていく状況と、そのなかでの世界の医療団の活動、そしてロヒンギャの人々の率直な声を伝え、この問題について何ができるか、考える機会となるよう開催しました。学生、NGO、医療関係者、報道関係者など、77名に参加いただきました。
事務局長米良のあいさつのあと、ロヒンギャ難民コミュニティ支援プロジェクトコーディネーターの中嶋より、難民キャンプの様子を紹介しました。現在は90万人以上がキャンプにおり、キャンプ内は過密状態であること、周囲には鉄条網が張り巡らされ、移動の自由もなく、十分な教育も受けられないこと、治安が悪く、ギャングの抗争や、麻薬取引などもあること、また、場所柄、洪水や豪雨などの自然災害に見舞われやすいこと、難民の一部には危険を冒してマレーシアに渡航しようとするも、入国拒否にあったり、近隣諸国の受け入れもなかったりして戻るケースがあること、バングラデシュ政府にも支援疲れが見られ帰還を呼びかけているが、クーデターが起こったミャンマーに戻りたい人はいないことなどを説明しました。そして、人々は国籍の付与、安全といった最低限の人権・生活保障を求めており、世界の医療団は彼らに長期的に寄り添い、将来どこに住まおうとも力強く生きていけるよう支援していると伝えました。
簡素なシェルターが立ち並び過密状態にあるキャンプ。サイクロンの通り道にも位置する
その後、ロヒンギャの人々の声を集めたビデオを流しました。「教育を受けることもできず、他の地域に移動することもできない」「キャンプには病気が多い」「死ぬまでここにいるなんて考えられない」「尊厳と権利、安全が保障された帰還を」「私たちも人間。子どもたちに普通の暮らしをさせたい」という切実な声を紹介しました。
次にロヒンギャ難民コミュニティ支援プロジェクトのメディカル・コーディネーターで看護師の木田が世界の医療団の活動について紹介しました。
キャンプ内では基本的には国際基準に沿って医療施設が整備されているものの、一次医療が中心で、専門的な医療はキャンプの外でしか受けられないこと。初期には医療体制が不十分だったが、ニーズに応えるために妊産婦、高齢者を対象に家庭訪問をして聞き取りを行い、必要な人は医療につなげたこと、そのなかで課題として若者支援が抜け落ちていたこと。若者は日中やることもなく無為に過ごし、犯罪に巻き込まれたり、早婚や若年出産、家庭内暴力に巻き込まれるケースが多かったため、若者を巻き込んだ事業を開始、若者を地域で健康教育を行う人材として育成したこと、また、2020年新型コロナウイルス感染症の対応では、キャンプ内でデマが回り、啓発ボランティアのメッセージが浸透しないため、信頼されているイマムと呼ばれる宗教指導者の協力を得て正しい情報を伝えたこと、活動の中で特に印象に残っているのは若者とのかかわりで、学ぶ意欲は強くてスポンジのように吸収し内面の成長が見られたこと、初めは目を見て挨拶もできなかった子ができるようになり、自分の意思を伝えられるようになって社会性を身に着け、自尊心や自信につながっていることを挙げました。さらに現在の活動として、非感染性疾患対策を行っていること、公式データはないが、高血圧・糖尿病が女性に圧倒的に多く、20代から罹患している人もおり、背景にリスクの高い生活習慣―日常的な嗜好品として摂取、間食の習慣、炭水化物と揚げ物中心の食生活の偏り-があること、活動するなかで、「塩分油の取りすぎが高血圧によくないとわかった」「たばこの受動喫煙もよくないとは知らなかった」「油をとると元気にあると思っていたが誤解だった」という声が聞かれたこと。また、活動の成果として、1日1回野菜を摂取している人の割合や受動喫煙がない状態が増加、また、3人に1人が室内でできる体操を継続できるようになったこと、そして、今後の課題としては、社会環境の影響を受けている個人の行動変容をいかに維持できるよう支援していくかということ、社会環境にまで介入できないのがジレンマで、インフレで食料の値段が高騰すると、野菜や肉の買い控えなどが起きており、活動に限界を感じると話しました。
若者が描いた活動に参加する前とした後の自画像。はっきりとした変化が見て取れる
状況の変化で良くなったところ、悪くなったところは? 木田 良くなったことはインフラが整ったこと。道もレンガが敷かれ歩きやすくなった。サイクロン対策も年々強化されている。医療支援も充実してきている。食料はチケット制で、システム化された配給体制が整っている。悪くなったのは、キャンプ周辺に鉄条網が張り巡らされ、治安が悪化していること。シェルターが老朽化しているが、建て替えが難しく衛生状態も悪化している。特に最近ではダニによる皮膚疾患が目立っている。水が十分にないためにシャワーが浴びられず感染症が広がっている。難民キャンプを受け入れたホストコミュニティでは地元で必要な人材がキャンプ内の保健ボランティアの支払いの方がいいのでそちらに流れ、教員の人材不足などが起きている。 中嶋 バングラデシュ政府が難民問題の長期化を国際機関に訴えている。他国でも見られるが、難民を閉じ込め、管理しようという動きが強まっている。人々の移転先の離れ島のバサンチャールで支援をしているというが不十分。ただ、これだけの負担をしているバングラデシュ政府をいたずらに批判できない。 |
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キャンプ内で緊急的な手術や外傷が起こったときは? キャンプ外に出る時チェックがあるのか、妨害はないのか? 木田 緊急の医療処置が必要な場合は、申請書を警備部隊に提出して許可証をもらってキャンプの外に出ることができる。ただ、緊急時は事前に準備できなかったり、許可証が下りるのが遅くて手遅れになるケースもある。 |
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障害を持っている方のサポートは? 木田 キャンプ内では障害を持つ人や高齢の人も多くいる。補助用の器具を供与したり、高齢者に特化してリハビリや医療支援を行っているところもある。 |
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多くの団体が入って支援している場合、偏りがないようにどのように分担しているのか?? 中嶋 支援団体は水、栄養など各セクターに分かれていて、世界の医療団は保健セクターに所属し、他の団体と情報共有して重なりがないようにしている。 |
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難民受け入れ国やホストコミュニティは長期化で支援がかなりの負担になっているが、共生するために私たちは何ができるか? 中嶋 重要な質問だが答えがない。バングラデシュに限らず、各国でも難民キャンプが10年以上存続している場合が多く、受け入れる国の政府が疲れている。地域社会との統合が解決策というのは論理的にわかるが、なかなか乗り越えられない壁であって模索中。少なくとも難民に寄り添っていくしかない。 木田 地元との摩擦や軋轢は年々増幅している印象を受ける。初期のころはバングラデシュ人のボランティアを雇って関わる場面もあった。そのときは個人レベルで共生が図れるのではないかと思っていたが、政府の難民に対する姿勢が変わってきて国民にも影響している。共生社会をめざすのであれば、国自体が考えを変える必要がある。できるとすれば、個人レベルでバングラデシュの人々が持っている偏見や思い込みに気づけるようにかかわっていくことかと思う。自分たちのなかに偏見や差別の意識があることすら気づいていなかったりするので、私たちがそれに気づけるようにかかわるのが一歩だと思っている。一緒に考え続けることも大切なこと。 |
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キャンプの中でうつ病や精神的な疾患にかかる人もいるのでは? 木田 ほとんどの難民の方々が、逃れてくるときにトラウマを負っている。避難生活が長期化するにつれ、先が見えないことからうつになる方は多いと感じる。ただ、ロヒンギャにはPTSDの概念がない。「霊に取りつかれた」と信じている文化で、精神的な不調を感じても病院でなく、伝統的医療者や宗教指導者に助けを求めに行くことが多い。ただ、メンタルヘルスケアの啓発も行っており、精神科医の元に行く方もいる。 |
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ミャンマーに村がなくなって、バングラデシュに残りたいと思っているのか、彼らの本音は? 中嶋 やっぱりミャンマーに帰りたいと思っている。第三国、特にヨーロッパなどは想像つかないのでは。元いたところに権利が保障された形で戻りたい。漁業や農業をやって生計を立てたいというのが彼らの希望。 木田 ミャンマーに切実に戻りたいと思っている。ただし「市民権が保障されれば」という「」つき。ミャンマーでは自分たちの畑や土地があり敷地が広かった。外出が制限されている女性であっても、家の中が広いのでそこで内職をしたり、とれたお米のもみ殻取りをしたりという日常生活が送れていた。キャンプは狭く、やるべき家事や手仕事がないというのは大きいと思う。 |
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ほかにも多くの質問が寄せられましたが、終了時間を迎えました。参加者からは「自分たちにできることは何か」という声も寄せられており、ファンドレイジング担当の冨岡より、マンスリーサポーターやボランティア情報などの支援参加プログラムを紹介。最後に米良より「ニュースにならない問題にも目を向け、活動を続けていきたい」と締めくくりました。