©Kazuo Koishi

ロヒンギャとの2年間

MdMとともに活動してくれるロヒンギャの人々とも出会ってから2年が過ぎた。2017年の8月の大量流入からわずか数カ月、ひと月も経ってない人もいた。
ミャンマーで市民権を剥奪された生活を送り、虐殺ともいわれる武力衝突から命からがら逃げてきたロヒンギャたちは、心身ともに傷を負っていて、それでも周囲のために家族のために、と願うボランティアが私たちのもとに集まってくれた。当初は外国の団体に外国人の私たちに警戒感を抱いていたと思う。ミャンマーへの帰国を願う彼らはその発言内容にも慎重で口をつぐんでいた。
MdMの当初の活動は、医療アクセスのない人たち、女性や子ども、高齢者などキャンプでもロヒンギャ社会においても、外に出にくい立場の人たちを医療につなぎ、衛生面をはじめとした健康教育活動を行うこと。ロヒンギャボランティアの力が不可欠であった。
ロヒンギャのことはロヒンギャが一番わかっている。
キャンプ内でのロヒンギャの労働には規制があったけれど、できるだけ活躍できる場を創ってあげたい、未来を描くことを忘れないでほしいと感じていた。

今も、彼らはキャンプの外への移動も教育も労働の自由も、更には通信の自由さえ制限されている。

リーダーのノビ
©Kazuo Koishi
それでも2年以上一緒に活動してきたことで、この人たちには話しても大丈夫、信じて大丈夫という安心感をもってもらうことができたと、今は感じる。
活動について、積極的に提案し、議論し、要請をしてくる。
リーダーのノビ、触れたこともないパソコンを独学で覚え、エクセルでデータ入力までこなす。インターネットがない中でそこに到達するまでどれだけの気力が必要だったのだろう。その日の活動報告をエクセルに記録していく。

時が経ち、これまで発言する機会もなく、そして政治的な発言については慎重になっていた彼らが口を開く。ミャンマーで起きたこと、活動の中でキャンプの住民から聞いたこと、帰還や不安をそれぞれが伝えたい、発信したい、と思うようになったのではないか、と私は思う。外へ出る機会もなかった女性さえもだ。

現場を離れていても、彼らはその日あったことを報告してきてくれる。自分たちの声を聞き理解する存在自体が彼らの生きる希望になっているからだろう。そういう存在が増えればと願うけれど、それ以上に私たちが今できることはないのだとも実感する。
私たちにできることは、発信し、彼らの言葉を伝える続けることなのだと、彼らの言葉を聞くことなしには本当に必要とされている支援はできない。

世界の医療団プロジェクトコーディネーター
具 貴香


ロヒンギャとの2年間

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