ハームリダクションのこと、日本の現状を考えてみると、いくつか大きな誤解があります。
「いやぁ、ハームリダクションというのは、もうクスリが蔓延しちゃっている欧米の国が、もう泣く泣くやっていることなんだよ」「日本のようなクリーンな国では、いらないよ」こういうことがしばしば言われています。依存症の専門家の中でも、そのような話をする方が現実に存在します。
それからもう一つの大きな不幸があります。最近になって、依存症の治療に関わる医療者から「ハームリダクション」という言葉を耳にするようになりましたが、よくよく話を聞いてみると、アルコール依存症治療の目標を断酒にすべきが節酒にすべきか、なんだかすごく小さな問題のことでハームリダクションが語られているんです。もちろん、それが「ハームリダクション」でない、ということではありません。ただ、それは昔からの治療方法や治療のアウトカムに関して患者さんたちとこうすり合わせながらやる、クライアント中心療法の考え方であって、「ハームリダクション」はもっともっと大きな問題を含んでいて、そのような局所的な議論をすることによって、もっともっと大きな理念が失われてしまっているのではないか、と危惧しています。
日本の薬物問題の主流は覚せい剤、そのハームとは?
まず日本の医療現場ではどのような薬物が問題になっているのか、私が所属する薬物依存研究部で行っている調査によれば、2010年からのデータでは最も多いのが覚せい剤、おそらく医療だけではなく司法の現場においても最も問題となっている薬物でしょう。欧米と違って、ヘロインのようなオピオイドが問題になっていない、ということは日本の特徴だと思います。オピオイドが問題になっていれば、これはもう司法だけではどうにもやっていけない問題がある、ヘロインの依存症の方をいきなり留置所に閉じ込めたら、ものすごい離脱症状が出てしまうからとても警察だけでは対応できない、そこでやはり医療が介入する余地があり、それからブプレノルフィンとかメサドンなど治療薬が役に立ちます。ところが覚せい剤は、離脱症状がそれほどない、覚せい剤の渇望を抑えるような薬も現在ではまだありません。ここに医療的介入を難しくさせている一因があるのかもしれません。もちろん、覚せい剤は注射で使う方法が一番多いのですが、1990年代半ばから加熱吸煙法、通称「あぶり」で使う人も増えています。ただ、依存が進行してくると「あぶり」で同じ効果を得るためには、覚せい剤の量が倍以上必要になってくるので、どうしても注射器で使うようになり、注射器共有によるC型肝炎、あるいはHIV感染が現実に起こっています。
そういう意味では、注射器の交換というプログラムも可能性としては十分にあり得るもの、と思いますが、海外でハームリダクションが始まった1980〜90年代と比較すると、HIV・エイズの治療法は格段に進歩し、死なない病気になりました。
C型肝炎もこの数年、大きく流れが変わり治療薬が開発され、治る病気になりました。覚せい剤使用による一番のハーム、害とは何なのか。それをこう考えていきたいと思っています。
罰の痛みで薬物使用と止めることはできない
まず日本では、覚せい剤の問題に関し、そのほとんどが刑事処法の中で対応されてきました。覚せい剤の問題で、非常に多くの受刑者が繰り返し刑務所に入っています。今から10年以上前の話になりますが、覚せい剤取締法で何度も刑務所に入っている方たち向けにあるプログラムを実施していました。その中で半ば冗談で言っていたことがあります。「あなたはこれまで覚せい剤のことで、親・兄弟・友人・知人・親分・兄貴にヤキを入れられたことがありますか?」このような質問をすると、全員が声を揃え「ある」と。依存症という病気の特徴は、本人が困るよりも先に周りが困ります。周りは何とかやめてほしいと思って懇願したり、優しくしたり、なだめたり、すかしたりしますが、全然良くなりません。そこで最後はつい手が出てしまうわけですよ。愛の鞭です。
「あなたはヤキを入れられた時に、どのような気分になりましたか」 刑務官もいる正直に言いづらい場で、勇気ある受刑者がこう答えてくれました。「余計にクスリをやりたくなった」。やっぱり依存症の方たちは「本当はこんなんじゃいけない」と自分を責めている、それなのにまた使ってしまったんです。情けないし、惨めです。でも依存症の人たちはこの惨めな気持ちに圧倒されそうになった瞬間に、渇望が沸き起こるクスリを使ってしまうのです。何を言いたいかというと、罰の痛みでは薬物使用を止めることはできない。
実際、私自身20年余り覚せい剤依存症の方々とお付き合いしてきて思うことがあります。覚せい剤依存症の方たちが、一番クスリに再び手を出しやすいのは、刑務所を出た直後、そして執行猶予や保護観察が終わった直後。法律からのプレッシャーや縛り、あるいはクスリを物理的に遠ざけることは、覚せい剤依存症からの回復に役に立たってないのではないかと。
本当にそうなのでしょうか。犯罪白書によると、覚せい剤で捕まる人は多くの年代で、減少方向にあります。ただ40歳以上、40代、50代の方が増えている。覚せい剤で捕まる人の高齢化が進んでいます。
それから何度も繰り返し刑務所に出入りしている人たち、再入所率が高い犯罪というのは、覚せい剤と窃盗です。数だけで言えば、覚せい剤が一番多い。データから、この日本には覚せい剤で何度も刑務所を出たり入ったりしながら、いたずらに歳をとっている方たちがいる、という現実がわかります。覚せい剤依存症からの回復に、いかに刑事司法の手続きが役立っていないのか、このことを示しているんじゃないかな、と私は思います。
危険ドラッグは本当に危ない
別の薬物の問題に目を向けてみたいと思います。危険ドラッグです。2012年から2014年の間、この危険ドラッグが問題になりました。いわゆる脱法ハーブを中心とした法に触れない薬物です。乱用初期の使用者の約半数は、海外渡航経験を持っていて、海外で大麻を習慣的に使っていたと。帰国してからも使いたいのに、日本では法に触れてしまう、そこで捕まらない大麻に類似のものはないか、の流れで、脱法ハーブという大麻に類似した効果のある捕まらない薬物に手を出したわけです。
2012年から2014年の日本ほど、脱法ハーブが注目を浴びて盛り上がった国はありませんでした。危険ドラッグの開発者はどう考えても日本の薬事法をしっかり勉強し、日本を狙い撃ちして薬物を開発している感じさえしました。なぜ日本でこんなに危険ドラッグが人気だったか分かりますか。それは日本人が遵法精神に富んだ国民だからです。捕まらない、ということが分かると飛びつく、でもそれがまともなものだったかどうか、ということです。危険ドラッグについてもう少しだけ解説をしておきましょう。
日本は規制対象の薬物を化学構造式で定義してあるため、逆に言うとそこを逆手に取ることができるわけです。化学構造式の木に例えるならば、幹の部分ではなく、枝葉の部分。この枝葉の部分の構造式を少し変えるんです。そうすると、規制対象から外れます。しかしながら、幹の部分は一緒なので、違法薬物と同じような効果がある。これがいわゆる脱法薬物なんです。もちろん国もそれを流通させているわけではありません。そういった薬物を使い問題を起こした方たちが出れば、事後的にその新たな改造された薬物を規制します。そして規制する頃にはまた別の、少しだけまたさらに枝葉を変えたものが出てきます。この繰り返し、いたちごっこが、この十数年間ずっと続いています。「この状況を何とか打開しなければ。事後規制しているのではだめなのでは?」という意識から、ある時期国は大胆な規制へと踏み切りますが、その規制の話の前にこの危険ドラッグがいかに危険か、ということをお話しておきたいと思います。
危険ドラッグを使って病院で治療を受けた方たち。初診時点で、あるいは病院に来た時点で、幻覚や妄想を呈した人たちは覚せい剤の人たちと比べ、危険ドラッグはどのくらいいたのか。幻覚や妄想のような精神病の症状については、覚せい剤も危険ドラッグもそんなに変わりません。問題は依存症の方、やめられない、止まらない、自分の意思ではどうにもならない、という状態になっている人は危険ドラッグの方が多いです。何を意味しているのかというと、今や合法とか脱法とか違法がどうかで薬物の医学的な危険性は、推測できない時代になってきています。さきほどこの化学構造式の枝葉を少し変えたもの、それが流通していることが分かったら事後的に規制する、とお話ししました。規制には最低でも半年はかかるから先回りして規制する、そこで化学構造式の枝葉ではなく幹の部分、幹の部分が似ているものは、もう似ていたら全部ダメ、規制の対象にしました。まだこの世にない薬物もありますが、全て規制してしまう、包括指定と言います。最初の包括指定は2013年、平成25年に行われました。その一年後にもう一回、別の系統、別の化学構造式に関しても包括指定を出したのですが、これでは収まらなくて最後は国がある意味脱法的と言える法律を作ってしまいました。とにかくヤバイものを売ってはダメだ、と。どうしてもヤバイもの、怪しいものを売るなら、科学的な安全性を証明して、報告書を提出すれば売ってもいいことになりました。それを受けて、危険ドラッグの販売する人たちは未練なくあっという間に店じまいしてしまいました。この包括指定があって、現在は危険ドラッグの入手が困難になっています。
規制を厳しくすることで何が起きたのか。規制が強化された2012年から2014年の間、危険ドラッグ関連で病院で治療を受けた人は減ったのか、増えたのか。覚せい剤に関しては特に大きな変化はありません。一方、危険ドラッグについては、依存症の診断に該当する方が増えました。
薬物から人を守るためにはサプライリダクションとデマンドリダクションの両輪が不可欠
これはとても大事なことだと思います。国が、国民を薬物から守るために、あるいは国民の薬物使用量を減らすためには、二つの対策が車の両輪となって動かなければなりません。一つはサプライリダクション、供給を減らすことです。コミュニティに危険な薬物が回り込まないよう、入り込まないようにすること。取締まりや規制強化です。ただこれだけではダメなんです。例えば皆さんに覚せい剤の入った粉末を渡したとします。「それを捨ててください」と言われれば、多分みなさん、捨てられると思います。あっ、捨てられない方もいると思いますよ。見ただけでこう身体が震えてきたり、あぶら汗が出てきたりする人がいるかもしれません。もしもそういった方は、あとでこっそり私に相談しに来てください。
何を言いたいかというと、そうじゃない人は簡単に捨てることができても、依存症の人はそれが欲しい。罪を犯す危険を冒してでもクスリを使いたい。それだけ強い需要を持っている人たち。すでに依存症に罹患している方たちなのです。だからサプライリダクションとともに必要なのはデマンドリダクション、つまり需要を減らすことです。取締り能力は高い日本は、サプライリダクションに関してはおそらく世界で一番ですが、デマンドリダクション、つまり依存症の回復支援や治療、これに関しては先進国の中で最低ラインなだけではなく世界的にはるか遅れています。これでは日本の薬物問題は解決しないと思っています。
様々な規制が行われた3年間、国内でも代表的な薬物依存症の専門病院8か所の協力で実施した調査では、危険ドラッグを使って治療を受ける患者さんたちに精神面の症状に特段変化はありませんでしたが、神経面での症状については大きな変化がありました。昏睡状態や失神発作のような意識障害、てんかん発作、全身性の痙攣などが年々増えています。精神面症状であれば精神科医が何とか対応できますが、この神経面の症状は命に関わる場合があります。これがどんどん増えているのだ、ということを忘れてはならないと思います。
全国の救命救急センターで行った調査では、規制が厳しくなる2012年以前と規制が厳しくなった2013年以降とで、危険ドラッグが原因で救急搬送されてくる患者さんたちに診られる身体合併症、多いのが横紋筋融解症と肝機能障害、規制が厳しくなった後のほうがいずれも増えています。そして規制強化前は救命救急センターに搬送された方たちの中で、救命しえなかった人はいませんでしたが、規制後は救命しえずに死亡している方もいました。
東京都23区内で発生した不審死、原因不明の死、その遺体すべてを検死し、死因を確定する東京都監察医務院という場所があります。この東京都監察医務院が調べた東京都23区内で危険ドラッグを使ったことによる死、規制が厳しくなる3年の間、平成24年に比べると規制が厳しくなった平成26年の危険ドラッグによる死亡者が13倍も増えていました。26年にはユーザーは減っているのにも関わらず死亡者が増えているということは、考えなしの規制は時として、コミュニティを危険に晒し、個人の健康被害をも脅かします。実はこの3年間、交通事故も増えています。規制を厳しくすることによって、個人の健康被害は深刻化し、コミュニティも危険にさらされているのです。
1919年から13年の間、米国で施行された禁酒法。米国のアルコール消費量は減るどころか、反社会組織が粗悪なアルコールを密売することで健康被害が深刻化、隠れてお酒を飲むから飲酒運転が横行する、様々な被害者を生み出してしまった、歴史から分かっていたことです。決して規制がまずい、というわけではなく、公衆衛生政策としては必要なのですが、ちゃんと考えることが重要です。
薬物使用量を減らす施策にはサプライリダクションとデマンドリダクション、車の両輪が大事だ、ということは先ほども言いました。でもそれでも不十分なのですよ。様々な対策を練って規制をしても、やはり規制をかいくぐってクスリを使う人はいる。依存症の治療をしても、やはり酒やクスリが止まらない人もいるし、あるいは酒やクスリは使っているのだけれども、依存症未満の病態で依存症のプログラムにマッチしない人もいます。そうするとやはり使う人をゼロにはできないのですよ。
そうなると、使うことによる二次被害を減らす、ハームリダクションはぜひとも必要なのだ、と痛感しています。
薬物のない世界はありえるのか?
仕事柄、私は麻薬取締官というかマトリの捜査官の方たちと一緒に仕事をすることがあります。表向きは仲良く、でも本当は内心は「こんちくしょう」と思っているのですけれども、大人ですから喧嘩したりはしません。もちろん、飲みに行って一緒にアルコール、エチルアルコールという依存性薬物を摂取しながら、腹を割って話すこともあります。完全には割らないのだけれども。マトリの捜査官は「先生、僕らマトリの捜査官は、とにかく薬物のない世界を実現したいんですよ。だからこうやって捜査に燃えているんです」と熱く語ります。僕、その度に舌打ちしているんですね。聞こえるか聞こえないかくらいの微妙な音量で。
2018年の全国の精神科医療機関による薬物関連障害の患者さんたちの年代別調査では、覚せい剤ユーザーで多いのが40代、50代、60代。70代だと睡眠薬や抗不安薬などのベンゾジアゼピン系の薬剤、10代では市販薬、市販の咳止め薬や風邪薬、痛み止め、これが多いのですよ。危険ドラッグのブームの後半2014年、この頃は危険ドラッグがまだ一番多かったのが「入手できなくなったし、危険ドラッグの中身がやばくなってきた」ということで、大麻に移行していきます。大麻について、それがいいとか悪いとかいう議論は今日はやめますが、大麻の方がより健康被害が少なくなっているのは事実です。最終的に危険ドラッグは10代は誰も使わなくなってきますが、2016年からは市販薬、2018年10代薬物乱用者の4割が市販薬を使っています。危険ドラッグが入手できないから市販薬を使うようになったわけでは決してありません。危険ドラッグを乱用していた10代の9割が男の子、市販薬を使っている子の6割が女の子なんですよ。もともとリストカットを繰り返していたり、様々な生きづらさを抱えている子たちであって、市販薬を止めたらそれでハッピーというわけではないんですよね。
なぜこのような話をしたかというと、薬物をなくすなどということは無理です。「人間とは何か」と言われたら、私はこう思います。「人間とは薬物を使う動物である」これこそが人間の特徴じゃないか。
もちろん自然界にも、例えば寄生虫に侵された時にある薬草を食べてわざと下痢をして寄生虫を駆除する動物がいます。ケガをしたら創傷の治癒するために薬草に体をこすりつける動物も知られています。あるいは落ちた果実とか地表で腐った穀物がたまたま発酵し偶然できたアルコールを飲んで楽しむ動物がいる、ということも報告されています。
広い意味で、人間だけでなく様々な動物が薬物を使うのですが、自然界にある薬物の中から、その薬草の中から、有効成分を抽出したり、人工的に合成したりとかして、薬物を作り、病気を治療するために使ったり、あるいはこの複雑なコミュニティで喧嘩にならないように、輪を保つために、みんなでわいわいするために使ったり、日々の憂さを晴らすために一人で使ったりする。そんな動物っているのでしょうか。
人間だけだと思うんですよ。人間はそうすることによって、この複雑な社会を支え、寿命をここまで延ばして、地球上にかくも繁殖してきたような気がするのです。薬物を使うことによって、人間はここまで繁殖してきたと思うんです。
だから文明の歴史と薬物の歴史はほぼ同じくらいだと思います。この長い薬物の歴史の中で、世界中の国々が法と規制を持って、薬物をコントロールしようとした、それが実効的に効果を持ち始め、施策として導入され始めたのは1961年の「麻薬に関する単一条約」ができてから。まだたった50年の歴史、本当にそれが成功しているのか、ということ。施策が薬物依存者に対するスティグマを強め、支援や治療から当事者を疎外してきたということが様々な文献で明らかにされています。日本はどうでしょうか。
『覚せい剤』やめますか、『人間』やめますか」「ダメ。ゼッタイ」教育と啓発からはびこる深い深いスティグマ
実際に京都で起きたDARCの設立反対運動です。似たようなことは様々なところで生じています。DARCは、薬物依存症の当事者が共同生活をしながら、薬物のない生活習慣を確立するためにリハビリテーションをしていく場所です。多くの薬物依存者たちを回復させ、助けてきました。そこでは使っても通報されることもないし「使ってしまった」でも「じゃあこんなふうにやっていこうよ」となる。そういう意味で民間のレベルでハームリダクション的な関わりをやってきた機関なのだろうと思います。DARCが京都で新たな施設を拡充したり、移転しようとすると、地域住民から「DARC反対」、「DARC反対」、「DARC反対」と呪いの護符のような張り紙をされてしまうんです。異様な空間になっていました。魔界都市のような妖気が漂う感じ。この通りを歩きながらDARCに通って、プログラムを終える向こう側に明るい未来が待っている気がするでしょうか。回復を後押ししてくれるプラスの要因はひとつも見つからない気がします。
みなさんもご存知のように、欧米諸国に比べると日本の国民が生涯で違法薬物を使う数はとても少ないです。例えば米国では、国民の約半数が生涯に一回は違法薬物を使うそうです。日本の場合は一回使用する人が2.3%か2.4%程度、依存症の人はさらに少なくなるでしょう。何を言いたいかというと、大部分の人が生の薬物依存症者、リアルな薬物依存症者と直に会って対等な立場で意見交換したり、コミュニケーションしたりする経験のないまま生涯を終えているんですよ。
会ったことがない、会ったことがないにも関わらずどうしてこういうイメージが、ここまで毛嫌いされなきゃいけないのでしょうか。どこで一体洗脳されているのでしょうか。30年前だったら「『覚せい剤』やめますか、『人間』やめますか」この民放連が行っていた啓発。これが頭に刷り込まれていて偏見が醸成されていると思います。
確かにそうかもしれません。近所に人間やめた人たちが集団で暮らしていたら怖いですよね?じゃあ、若い人たちはどうしょうか。若い人たちはこのコマーシャルを知らないので、その偏見がないのではないか。いやいやいや、現在進行形であります。中学校や高校で行われている薬物乱用防止教育です。私自身、5年前まで文部科学省の要請で全国高校生薬物乱用防止啓発ポスターコンクールの審査員をやっていました。各都道府県で県知事賞を獲った高校生の薬物乱用の「ダメ。ゼッタイ」的なポスター。どの絵もみんな一緒、何の個性もないです。どの絵も、目が落ちくぼんで頬がこけたゾンビのような薬物依存者が両手に注射器を持って、子どもたちに襲い掛かろうとしているんですよ。どのような教育が行われているか、このポスターを見れば分かるのですよ。そこで行われているのは、薬物依存症という障害を抱えた人たちと共生できる社会をつくることを阻む偏見や差別意識、あるいは優生思想の萌芽的なもの、それを真っさらな子どもたちの頭に植え付けているのです。こうすることによって共生社会の実現を阻んでいます。
でも、例え盛った話でもいいから脅すことによって、最初の一回を防ぐことができたらそれでいいじゃないか、と言う人もいます。でもそれは効果がない、なぜなら子どもたちを薬物に誘う人たちはゾンビのような顔をしていない、イケてて格好いいし憧れちゃうんですよ。しかもこれまで出会ったどんな人たちよりも、どんな大人よりも、優しくて、自分の話を受け止めてくれて、初めて自分の存在価値を認めてくれた人が「友達になろうよ」ってすすめてくるのです。
それくらいその子が孤立していたということにを忘れてはならないと思うんですよね。もともとこの「ダメ。ゼッタイ。」という言葉は国連の”Yes To Life No To Drugs”/「人生にイエスと言おう。ドラッグにノーと言おう」。この翻訳が、なぜか「ダメ。ゼッタイ」になってしまった。痛みを抱えていて自分の人生に”Yes”と言えない人たちをどうするのか、という想像力に欠けたまま、きれいごとで「ダメ。ゼッタイ」、あるいは犯罪化が進められてきたのです。
スティグマがさらに人を疎外してしまう
そして昨年11月、ある民放の人気テレビドラマで「シャブ山シャブ子」という現実の薬物覚せい剤依存者とは、似ても似つかない狂気の沙汰のような描かれ方でした。みんな「リアルな芝居だった」というけれど、それは「ダメ。ゼッタイ」教育の中で行われている、嘘っぱちの教育をモデルにすれば、リアルだったかもしれない、でも本物の薬物依存者の姿とはかけ離れた表現でした。このような差別的な表現がテレビドラマで取り上げられることで、薬物依存者に対する偏見が強まる、そうして彼らは助けを求められなくなってしまい、家族は相談できなくなってしまう。これで我々は声をあげました。テレビ局にクレームを入れ、「クレームを入れましたよ」ということも大々的に公表しました。ところが、何人かの方からか直接メールや電話でお叱りを受けました。薬物依存の当事者でした。
「先生たちの気持ちはありがたいよ。ありがたいけれども、しょせん俺たちヤク中だし、犯罪者だし。だからそんなこと言っても『あいつらは犯罪者じゃないか』という声が逆に強まってかえって追い詰められちゃうから、言わなくていいよ」と。「そっとしておいてくれよ」こう言ってきたのです。
「あぁ」と思いました。社会的なスティグマを、自分の中に内面化してしまっている、セルフスティグマが強くなってしまっているんですよ。それで病院に助けを求めず、「やめられない」「使っちゃった」とかそんなことが正直に言えなくなって、どんどん孤立して、支援から疎外されていく当事者の姿がそこにあります。
一番助けが必要なのは治療をドロップアウトする人たち、だから安心、安全な新しい選択肢が必要
以前私が勤めていた横浜の専門病院で、覚せい剤依存症の方たちが専門外来の初診から3か月後にどのくらいの割合で治療を継続しているのか、を調べてみました。そしたらですね、たった3か月ですよ。たった3か月で7割が通院を中断していました。薬物依存者の方が専門病院に来るまでに、どれだけ家族が悩み苦しみ、あるいは保健所の保健師さんが説得してくれたり、あるいは逮捕をきっかけにソーシャルワークをしてくれたり、弁護士さんが動いている場合もあります。そうしてやっと繋がったのにたった3か月で7割がドロップアウトしてしまう。こんなの専門病院と言っていいのかな、という気がしました。でも3割の方々が治療を継続しているので、この方たちに「初診から今日までの間、1回でもクスリを使った?」と聞くと、なんと使っていない人が96%でした。3か月って短い期間ですが、96%がやめているってすごく成績がいい。少なくともこれは依存症の方たちの平均的な成績とは言えません。
たまたま止められている人たちが、運が良い人が、医者に自慢しに来ているだけなんです。だからたった3か月の間も止めることができずに使ってしまった方は、恥ずかしくて情けなくて、あるいは医者から説教されるという屈辱に耐えかねて、あるいは正直に言うと「警察に通報されるのではないか」と怖くて、治療からドロップアウトしているのです。
そして本当に助けなくてはいけないのは、自慢しに来ている3割なのか、それともたった3か月も我慢することができずに、屈辱的な気持ちで、恥ずかしい気持ちにまみれて、治療から去っていった人たちなのか。これを考える必要があると思います。私はこの7割こそ助けなければいけないと思っています。
つまり今、日本に必要なのは、安心して「シャブを使っちゃった」ということが言えるプログラム。それを言っても誰も悲しげな顔をしないし、誰も不機嫌にならないし、決して自分に不利益が起きない、安心・安全な場所が必要だと思っています。
残念ながら、医療者の中には「通報するのこそ正義だ」と思っている方たちもいます。「通報すべきではない。医師には刑法で定められた守秘義務があるのではないか」と言えば「犯罪をほう助する医者だ」と批判されることもあります。危険ドラッグは様々な意味で危険な薬物でしたが、ひとつだけ良いことがありました。それは治療のアクセスが良かったこと、専門治療を受けるまでの期間が1年未満の人たちがほとんど。覚せい剤依存症の方たちは、軽く10年、15年は経っていることもあります。その間まったく問題なかったわけではなく、何度も刑務所を体験しています。覚せい剤依存症の患者さんたちの75~80%に逮捕歴があります。
危険ドラッグはもちろん危険さもありましたが、一番の理由は捕まらないから。だから安心して相談できたのだと思います。規制強化によって、失われてしまったものがあるということを我々は理解しておく必要があると思っています。
日本と比べるとはるかに甘いと思うかもしれませんが、実は米国はヨーロッパの国々に比べてみると薬物対策には厳しい国でした。1971年のニクソン大統領の時代から”War on Drugs”が始まり、薬物に対する厳罰政策が行われてきました。本当に薬物だけを排除したかったのかと背景を考えると、僕はそうだとは思っていません。反政府運動をやっている大学生やヒッピーのほとんどが大麻をやっていた時代です。ベトナム戦争で支持率が落ちたニクソン大統領が「あの連中を何とか黙らせたい」という気持ちから、大麻取締りを厳しくしたのではないか、と、これはよく言われている話です。
世界の薬物政策と感情論
薬物の規制は必ずしも医学的な根拠に基づいて行われているわけではなく、異文化とか、異人種に対する、ある種の排除的な感情、そういった感情論で行われていることも少なからずあります。
日本の覚せい剤取締法も考えてみれば、戦争当事者たちが上野のゲットーに集まって軽犯罪を繰り返しながらヒロポンを常用していた。「だからヒロポンが良くないんだ」と言うけれども、実はそこには戦争トラウマや貧困の問題があって、すべて薬物のせいにしたのが正しかったのかどうかということも冷静に考えてみる必要があるのだと思います。
ともあれアメリカの厳罰政策による成果といえば、刑務所の回転ドア現象が起きてきたわけです。2011年薬物政策国際委員会のレビューによれば、薬物戦争は勝つ見込みのない戦い、過量服薬で多くが死ぬ、HIVの新規感染者が出て、刑務所はいたずらに増設され、そこに無駄な税金が投入される、そして反社会組織がどんどん大きくなってしまった。
南米の国々で密造され密売されている薬物の8割がアメリカで消費されています。法規制を厳しくすればするほど反社会勢力は大きくなっていく、もはや国家ではコントロールできない状況になっている。今は南米の国々が「お願いですから、規制はやめてください」と言い出す状況になっています。その一方でポルトガルをはじめとしたヨーロッパの国々は、薬物の自己使用や所持を非犯罪化し、むしろ罰を与えるのではなく、福祉サービスに繋げる、あるいは仕事を提供し、社会に居場所を与える。こうした政策を推進することによって、薬物問題あるいは少なくとも薬物使用による二次被害、過量服薬による死亡やHIVの新規感染などを防ぎ、そして治療にアクセスできる人たちを激増させてきた歴史があるんです。
そして今やWHOをはじめとした国際機関は、この薬物問題を非犯罪化し、保健や福祉的な支援の対象とすることを叫び始めています。
絶対に通報されない場所と人権の尊重、そしてスティグマを減らすこと
日本でどのようなハームリダクションが必要なのか。一番現実的なのは、治療の場で「『絶対に通報されないこと』が保障されている」ことが必要なのかな、と私自身は思います。
法律の解釈からも医療機関の守秘義務というのはすごく大きなはずで、ただ犯罪を告発したからと言って一医師としてではなく一市民として犯罪を告発しても罰せられはしない。だから今はそれぞれの裁量によって、ある人は通報し、ある人は通報しないという恰好でやっています。
国が「治療の場では安心・安全を保ちます」宣言するか、そうでなければアルコール健康障害対策基本法とかあるいはギャンブル依存症対策基本法があるように、薬物依存症対策基本法みたいな理念法ができてとにかく回復したい人は保障されるということ、これがまず第一歩、日本としてやらなければいけないハームリダクションなのかな、と考えています。
それから注射器の交換とかいろいろなサービスをしていくことが必要だと思いますが、何よりもまずこの薬物乱用防止のための防止教育、これがかえってスティグマを強めているような気がするのです。
厚生労働省は「一次予防と回復支援は違う」と言っていますが、私はそうは思ってはいません。最初の一回を防ぐ教育と、同時に乱用防止教育、スティグマを強めない教育も必要だと思っています。
なぜならこのクリーンな日本において、薬物を使う子たちというのは、親がアルコールや薬物やギャンブルなどの様々な問題を抱えていて「親が問題を抱えているのは自分が悪いから」と自分を責めている子たち。その時「それは君が悪いからじゃない、病気である以上解決策はあるよ」と伝えてあげることこそが薬物乱用防止なのではないかと。中学校の教育指導要領には、薬物乱用防止教育に「DARC等の回復者を一緒に登壇させることは望ましくない」ということが書かれています。でもそれはちがう。日本のハームリダクションはいろんなやり方があって、もちろん公衆衛生的エビデンスを集めてもらうということも必要なのですが、同時にこの人権への配慮、スティグマを改善していく、ことがとても大事だと思っています。
医療現場でのスティグマが依存症患者の回復を阻害することも
国際的にもうアディクションの反対語は「しらふであること、クリーンであること」ではなくなっています。「コネクション」だと。孤立している人たちが依存症になりやすく依存症になればますます孤立してしまう。そして、とにかくまずこの孤立から救うためには、クスリが切れてなくても支援の対象にする、ということが必要です。
しかし残念ながら薬物依存症の患者さんたちは深刻な医療ネグレクトを受けています。「依存症者お断り」とか「診ません」とか。私たちの病院には薬物依存症外来があり、積極的に診ているのですが、以前、デイケアのスタッフから言われたことがあります。
「薬物依存の患者さんはこちらの方には来ないでほしい」、「向こう側の通路を使ってほしい」。「え、でも他の患者さんはこちらの通路を使っているじゃない」と言ったら「いや、ちょっと雰囲気が違うから」と。「何それ」、「どういうこと?」って。
ナショナルセンターですらこういう状況です。医学部6年間で依存症について教わるのは、精神医学の講義1コマ90分だけです。この90分に比べたら、中学や高校で受けている薬物乱用防止教育のほうが、はるかに長い時間なんです。医療者も依存症に関しては素人だと思ってください。
「この社会的なスティグマをそのまま医療者も引きずって支援をしている状況があるのだ」ということ。そういう意味でも、この大規模な改革が必要である、と私は思っています。