東日本大震災:現地医療活動レポート12

震災後4ヶ月がたち瓦礫撤去率は岩手県で47%と発表された。この数値からも分かるが現地での景色の変化もすさまじい。

東日本大震災:現地医療活動レポート12
釜石保健所でのミーティングのあとに大槌町に行く途中、でこぼこの道が舗装されて新しい道になったり、瓦礫が撤去され通行止めの道が通行可能になったり、ある一画は水を張った直後の田んぼのようにきれいに片付けられている。景色だけではなく人の出入りも激しい。6月に入ると避難所に行っても残っているのはわずかな人々だけだった。海を片付けに行ったり、家を掃除しに戻ったり、仕事を探しに行ったりと着々と皆自分の生活を取り戻すために日中は外にいることが多いようだった。診察室や避難所、町でのちょっとした会話を通じて毎回彼らの純粋さ、礼儀正しさ、情熱、ユーモアに感動する。一人ひとり印象深いがここでは数名紹介したい。

辺りはほとんどの瓦礫が撤去され津波で残された家の土台が残る、JR山田線のとある駅のすぐそばに甘味処がオープンしていた。地元の住民はもちろん、各地からのボランティアがお土産を購入したり、イートインのスペースで休憩をしている。私たちも何度か利用させてもらったが雰囲気も味も妥協を許していない。素敵な甘味処だ。ある日、お店のショーケースに並んでいるくずきりやケーキ、プリンを物色していると「全部おいしいのよ。」と笑顔で地元の婦人が話しかけてきた。その女性は知人からの支援物資のお礼にお店のオリジナルの焼き菓子を送るために来たらしかった。しかもその個数は30本。女性から感謝の気持ちのこもった贈り物だ。 大槌病院の院長先生と話しをする機会があり、新しい病院への引越で忙しい中、わざわざ院内を案内してくださった。震災前の病院の様子、津波が病院を襲ったとき患者さんたちを上の階に非難させ一晩過ごしたこと、また震災後自衛隊が病院に来てから入院患者を他の病院に転院させるまで病院職員が家に帰らずに対応したときの様子を伺った。院長先生や病院のスタッフから伝わってくる澄んだ雰囲気は以前からの信頼関係と究極の経験を共有して克服したあとの絆とそこからのいい意味で肩の力の抜けた結束力だったのかもしれない。

「どこからきたの?ご苦労さま。」。私たちが夜8時くらいにある避難所の駐車場でカルテの整理をしていると60代の男性に声をかけられた。彼は漁師らしく漁の道具の修理に行き、友人宅で晩酌をした後避難所に戻ってきたところだ、といっていた。男性は「話しにくくない?ここの人たちは話すの好きだよ。ざっくばらんに話してって!!」。

私がほかの医療チームと話していると私の服の端を引っ張る女性がいた。60代くらいの女性は震災後に集めた有名人のサインをうれしそうに見せてくれた。「これは歌手の○○が○○にきた時にもらったの。こっちはね。。。。。。」と話は尽きなかった。

東北のヒーロー、ヒロインはとても魅力的だ。残された役場の職員は避難所から仮設の役場に通い不備な環境で書類を裁き、避難所ではリーダーさんたちが外部から来たボランティアの受け入れや避難所に来る訪問者の対応をしている。彼らは十分踏ん張っている。地元の消防、警察、学校の先生、小学生からお年寄りまで全員だ。皆、手探りで1番良いと思う方法を模索している。そこには正解もないし、完璧な人間などいない。私が感じたのはもっと外部の援助に甘えてほしいし、私たちにもっと手伝わせてほしい。外部の人間ができることは地元の人たちと連携し、彼らをバックアップすること。物質的な問題だけではなく、一人ひとりが主人公であり、いろいろな思いを抱えながら日々を過ごしている。日本だからできる細やかなオーダーメードの支援の必要性を感じた。

最後に岩手県盛岡在住のカメラマンが釜石、大槌町の人々を追ったポスターを紹介したい。皆とてもかっこよすぎる。

http://fukkou-noroshi.jp/

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