1Fが建設される前の大熊町は、人口7,000人ほどが暮らす農業と漁業の町でした。1971年の1F稼働から人口は増加、震災前人口は11,500人を超えました。町にとって、原発はまさに雇用産業の中心となったのです。そして3月11日、大震災が発生し、1Fでは事故が起きました。
人的被害:死者136名(直接死12名、震災関連死124名) 建物被害:津波による全壊家屋48棟 地震による全壊274棟、大規模半壊628棟、半壊1,479棟、一部損壊25棟 (出所:大熊町) |
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3月12日、1Fで水素爆発が起き、全町避難が開始されました。これにより、大熊町民は県内・県外へ避難することになるのです。県内の避難先は、いわき市が4,672人と最も多く、次いで郡山市1,072人、会津若松市778人と続きます。
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住民帰還が始まった大熊町はどうなっているのだろう?先日、双葉郡とその住民の避難先であるいわき市で活動するNPO団体らが集まって、情報交換会を開催しました。会には、役場の職員の方にも参加していただきました。会議では、先に示した大熊町の被災状況データが共有されたほか、復興計画についても共有がありました。町は、住宅だけでなく新たな産業の育成も進めています。そのひとつが植物工場、もうひとつがメガソーラー発電です。どちらも農地が使えないなら土を使わない農業を大規模に行ってみよう、ソーラーパネルを敷き詰めて発電しようと、逆転の発想から生まれた事業と言えます。2.9haの大規模いちご工場は、7月の出荷を目標に稼働しています。また、隣の富岡町でもメガソーラーが稼働しており、その設備容量は合計3万kwになり、作り出される電力は被災12市町村へ供給されています。原発1基の設備容量は100万kw程度なのでまだ少ないかもしれませんが、原発に頼らないことを示し、新たな産業とする姿勢に町の「本気度」が見えました。
ご協力いただいた町の企画調整課に感謝いたします。
大熊町の居住者数は694人、住民登録者数が10,327人。わずか6.7%の帰還率です。来年には大野駅の開業と周辺の帰還困難区域指定解除が控えており、町は4,000人の帰還を目標としています。町の調査によると、事故後、帰還を希望する方は常に11~12%程度おり、判断がつかない方、戻らないと決めている方が、毎年増えたり減ったりしているとのことです。ここ2年では、判断がつかない方が30%近くにまで増えてきました。大熊町が掲げる「帰町を選択できるとともに、町外からも人が来たくなる環境づくり」が進めば、人口4,000人への回復は不可能ではないと感じました。
今現在、世界の医療団が大熊町でのこころのケア事業を開始するかどうかは未定ではありますが、町のニーズを知り、そして話し合っていきたいと考えています。
大川 正祐
福島そうそうプロジェクト コーディネーター
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真新しい町役場