東日本大震災:現地医療活動レポート5

世界の医療団 日本事務局長 エフテル・プリュン 
岩手県大槌町への一日訪問(2011年4月27日)

東日本大震災:現地医療活動レポート5
私が出発したのは4月25日の午後11時、夜行バスで東京を離れ、8時間後、津波による大きな被害を受けた釜石市へと到着しました。釜石市では、多くのタクシーも被害に遭いましたが、ようやくタクシーをつかまえることができ、複数の医療・生活支援チームが集結する釜石市合同庁舎へと向かいました。そこでの医療・生活支援チームは、岩手県管理の下、活動を実施し、毎朝ミーティングを開いています。

そこでは、北海道から沖縄に至る全国から来た医療従事者たちが、新しい医療チームの参加を始め、診察件数、感染症の危険性等、様々な重要な情報を共有するために集まっています。彼らは様々な地域の、異なる組織に属している医師、看護師、ソーシャルワーカーたちですが、協調性かつプロ意識を持って一つの目標へと向かって働いている姿が見受けられました。ここ岩手県でも、日本独特の組織だった意識・態度を垣間見ることができます。

次に私は、3名の世界の医療団の医療チームに合流しました。この東北支援プロジェクトのコーディネーターを務める森岡大地医師。形成外科医で支援活動の経験が豊富です。東京でホームレス状態の人々への医療支援を行う精神科医 森川すいめい医師は、今回のメンタルヘルスケアに重点を置くプロジェクトで重要な役割を担っています。そして最後は、今年の年末にJICA国際協力員としてブルキナファソへ出発予定の赤崎美冬看護師。私たちは、企業からこの医療活動にサポートを得た車で、世界の医療団がこころのケアで診察を担当している大槌町の20ヶ所の避難所の1つへと向かいました。

避難所の写真は、これまでに何枚も見てきましたが、避難所の雑然とした、プライバシーのない状態を見た時はショックを受けました。3月11日以来、大勢の人がこういった生活を強いられているのです。世帯ごとに振り分けられた場所には隣との壁もなく、各スペースは約4平方メートルほど。持ち込み可能な身の回り品も、非常に限られています。女性や子どもたちに対し、身の安全のために一人でトイレに行かないよう警告する標示も出されていました。

今回の大災害ですべてを失ってしまった方の生活、家、仕事、資産、行政サービスを受けるための書類、そして何よりも家族や友人を失い、同じような悲しみを経験した人が周りに大勢いる中で日々、1週間、1ヶ月と伸びていく避難所での生活は、想像し難いものです。それでも、不満を言う人はほとんどいません。逆に、この生活へと慣れてきた、と言う人がたくさんいました。それは、そうでもしなければ生活していくことができないからでしょう。しかし、多くの支援団体が活動を徐々に縮小し、避難所生活者が減り、町を去り始め、支援の必要性も薄れてきたと感じ始める頃、避難所の生活を強いられている人々は、孤独感、見捨てられると新たな不安感に苛まれる可能性が高いと言えます。この時こそ、こころのケアに重きを置いた世界の医療団の活動が役立つでしょう。津波の被害から生き逃れた人々へ、長期的、精神的な分野での医療支援が必要だと考えています。

大槌町だけでも、1700名が亡くなり、行方不明となっています。亡くなられた方のリストが、掲示板に貼りだされ、別の掲示板には、「祖母を探しています」「どなたか、鈴木さんの家の人についてご存じの方はいらっしゃいませんか」等、メッセージが貼り出されています。今回、外傷を負っている人はほとんどいません。しかし、津波にさらわれていたら、自分がそのリストに載っていたでしょう。こういった状況の中、生存者が負った深い傷は、まさに心理的なものです。

子どもから高齢者まで、苦しい状況下にあるのは皆同じです。しかし、津波の被害を直接受けた人々の心の傷の深さを理解するには、時間を掛けて少しずつ築いていく信頼関係が不可欠であると思います。

最後に、被災者の苦しみを少しでも和らげようと支援活動に参加くださっているボランティアの方々に、お礼を申し上げます。世界の医療団は、ボランティアの方々なしでは、大槌町での活動を実施できていません。私たちの活動は、今回の災害のスケールと被災者数に比べれば微力でしかありません。しかし、私たちが今回繋がりを持てた被災者の方にとって、私たちの活動はきっと役立つものであると信じています。必要とする人がいる限り、東北地方の被災者のこころのケアで、応え続けたいと願っております。

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