それは、ある避難所で小学4年生ぐらいの女の子。避難所には自由にDVD観賞やテレビゲームができるたたみ1畳分のスペースがある。そこには女の子が1人だけでいて、他の子ども達は少し離れたところで集まって遊んでいた。私は、一人でいる子が何となく気になり話しかけてみた。女の子は、DVDを見ようとしていて、私に「一緒に見ますか?」と聞いてきた。
接してみると、一人でいるが、とても人懐っこい感じで、孤立しているのではないと感じ少し安心した。
DVDは、本編に入るまで他の映画広告が続いた。広告のうち、棺に人が横たわっている場面があり、女の子は「私、こういう場面たくさん見たから怖いんだよね」とぽつりと言った。
後、その子は、声をたてて笑いながら映画を見ていたが、私はなんて声をかければ良いのか分からず、沢山の死と向き合ったのだと強く感じた。
その日は、少しずつ暖かさが増した気持ちのよい天気だったが、太陽の暖かさは、悲しみを抱えた多くの方々の心情とはあまりに違い、かえって印象深く感じられた。
暫くすると、その子は「友達を紹介してあげようか?」と言って、外の広場に向かった。「こどもの日」のイベントのため、自衛隊員がおもちゃを並べ、準備をしていた。女の子は、避難所にいた他の子ども達を一人一人紹介してくれ、そして、自衛隊員のところに行って抱きつき、その自衛隊員も友達だと名前を教えてくれた。自衛隊員は照れたように私に会釈した。自衛隊員とその女の子は”友達”に違いないと思った。
避難所生活や大勢の自衛隊員、自衛隊の車が行きかう生活は、今までの日常ではありえないだろう。被害の大きさをある意味象徴的に表すものかもしれない。しかし、その象徴さえも子どもたちは、新しい意味づけを自分たちの力でしていくのだと感じた。
震災から2ヶ月経った現段階で、全ての子どもたちが新しい意味づけをできるわけではないと思う。まだ現実を受け入れることができず、現実感がない子どもも大勢いる。子どもの力を信じつつ、子どもから学びながらサポートが必要な子には適格なサポートができればと思う。子ども達は「どんなサポートを望んでいるのか、望んでいないのか」これからも活動を通じ問い続け、実際の支援に繋げたいと思う。
臨床心理士 佐藤綾子