2018年の1月から参加しています。ロヒンギャ・コミュニティに対し、健康教育を行う活動を手伝っています。災害予防、応急手当、衛生教育、ワクチン接種、家族計画、母子健康、新生児ケア、下痢、マラリア、デング熱、栄養不良、、、内容は多岐にわたっています。新たな試みとして、10代のロヒンギャ・ユースに参加してもらってキャンプ内の20のコミュニティリーダーが管轄するエリアで2000以上の世帯に向けて健康教育を行います。研修も終わり、昨年11月から実践がスタートしました。
これまでの活動では、ワークショップを行っていたことさえも広く行き渡ってはいませんでした。今回参加してもらうユースたちは、昨年まで私たちが健康教育をしていたエリアから選抜された40名の若者です。
ここキャンプで今、必要とされていると私が思うのは、健康教育。ここに住む人々には必要、一体どうやって知識もなしにここで健康に生きていくことができるのか。。。清潔な水と衛生教育が大切なんです。
それと私たちがカバーしているエリアからクリニックまでは距離があって、具合が悪くてもなかなか病院へ行こうとしてくれません。クリニックが必要です。住民からの要望はもちろん、時として重篤な症状の患者もいて、緊急な対応が必要なこともあります。
また薬を取りに行くのも大変です。小さい子たちがいる世帯も多く、彼らをつれて遠いクリニックまで薬をもらいにいくことは簡単ではありません。時に小さい子どもたちだけで家に残していることもあり、大泣きしているような光景も幾度となく見かけました。また道なき道を行くこともあり、時にキャンプ内を走る車やトムトムとの接触事故も起きています。なので、ぜひクリニックを建ててほしいと思っています。
私がここへ着いたのは2017年8月25日からまもなくしてから。国境を越えること、移動を禁じられていましたから、ミャンマーから山を越えて歩いてきました。家族と一緒にです。
雨季で川は危険だったし、軍隊の見張りがいないと思って山から逃げることにしました。ここへ来るまで6日かかりました。私の父は103才と高齢で、下半身が麻痺しているため、彼を連れて逃げるのは本当に大変でした。ブランケットを担架代わりにして運びました。私には2才の息子がいますが、彼は自分の足で歩くほかありませんでした。小さな子にそんな思いをさせてしまった、父親なのに。。。助けてくれる人もいませんでした。私たち家族のようにみんなが大変な思いをして、国境を越えてきました。逃げる途中の道端でお産をしている女性もいました。何もない野原でです。
ミャンマーでは、マウンドーに住んでいました。私たち一家がミャンマーを離れたのは、食べ物に困っていたとかそんな理由ではありません。無実の子どもたち、妊婦までもが殺され、女性たちはレイプされました。私たちが離れる決意をした理由はただひとつ、ミャンマー政府軍による残虐な暴力行為から逃れるためです。
今はキャンプで家族と住んでいます。父も、85才の母も元気です。でもあの時のことを思うとつらいのです。
私に話す機会をくれたことに感謝しています。ありがとう。
©Kazuo Koishi