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空爆がこれ以上続けば、イエメンはこの100年で最悪の飢饉に直面する

内戦前から衰退していたイエメンの医療システムは、完全に崩壊しました。医療インフラの半数以上が破壊されたと推測されます。人口2,900万人のうち2,220万人以上が人道的支援を必要としています。北部同様南部でも、医療へのアクセスは極めて困難な状況です。ほとんどの医療施設が機能していません。かろうじて機能している病院であっても、医療機器、薬品、燃料が不足しているか、もしくは危険な立地にあるためアクセスできないのが現状です。


フーシ派とイエメン政権軍による内戦は、2004年よりフーシ派の拠点であるイエメン北部のサーダを中心に繰り広げられてきました。2014年9月、フーシ派はイエメンの首都サナアを掌握、その後はイエメン第2の都市である南部アデンに侵攻しました。フーシ派の勢力拡大に伴い、アラブ連合軍はイエメン政権軍を支援するため、2015年に軍事作戦を展開しました。 

2018年6月13日、暫定政権軍とサウジアラビア主導連合軍はイエメン西部奪還を図り、西部の港湾都市ホデイダに侵攻を開始しました。

9月7日、代表団の安全性を確保できないことを理由にフーシ派が協議への参加を拒否、和平協議は失敗に終わりました。その直後からサウジアラビア主導連合軍はホデイダ近郊への軍事作戦を再開、8月から10月にかけて空爆が続きました。

10月2日、ジャマル・カショギ記者が殺害されました。その頃から、サウジアラビアによるサウジアラビア有志連合軍への制限なき支援に変化の兆しが現れました。サウジアラビアの釈明にあった矛盾や嘘が、国際的な圧力を誘引し、”信頼性のある調査”を求める声が高まりました。この殺人事件から、イエメンの紛争が多く報道されることになりました。

一連の出来事から、サウジアラビア連合軍が沈黙を続けることはますます難しくなり、和平協議再開を求める声も出てくるようになりました。ホデイダでの停戦、また信頼醸成措置の一つとして、フーシ派の負傷兵50名が治療のために隣国オマーンへ避難するなど、平和的解決に向けた前向きな兆候がいくつか見受けられています。結果、12月初旬、スウェーデンにて和平協議が再開されることになりました。


内戦前から衰退していたイエメンの医療システムは、完全に崩壊しました。医療インフラの半数以上が破壊されたと推測されます。人口2,900万人のうち2,220万人以上が人道的支援を必要としています。北部同様南部でも、医療へのアクセスは極めて困難な状況です。ほとんどの医療施設が機能していません。かろうじて機能している病院であっても、医療機器、薬品、燃料が不足しているか、もしくは危険な立地にあるためアクセスできないのが現状です。

国連は、サウジアラビア主導連合軍による空爆が続くことになれば、イエメンはこの100年で最悪の飢饉に直面する、と警告しています。今後3ヶ月も戦闘が続けば、新たな飢饉がこの国に住む1,200万人から1,300万人の住民を襲うことになります。

さらに2018年5月に発令されたWHO/MOHによるコレラ流行の注意喚起は撤回されておらず、世界の医療団(MdM: Médecinsdu Monde)は他団体と緊密に連携を続け、コレラ対策に取り組んでいます。

2015年より、MdMは、フーシ派支配下のイエメン北部と西部にて、11の医療施設で活動を続けています。現在は、住民の医療サービスへのアクセスを可能にするため、保健省を支援し、プライマリヘルスケア・サービスを提供しています。また、地域の医療スタッフやボランティアの育成にも取り組むほか、重篤なケースに対応するため、照会サービスも行っています。



イッブ県ヤリーム郡のA’amaad村
Hazim父”A”


「叔父の死が息子を変えてしまった。
3ヶ月前、叔父が亡くなってからというもの、彼は正気でなくなり、てんかん発作を起こすようになった。Hazimは暴力的になり、食欲を失い、睡眠時パニック発作に苦しむようになりました。

そこで、村にあるMdMのプライマリヘルスケアセンターを訪れ、診察を受けてはじめてHazimは転換性障害なのだということがわかりました。少なくとも6回、セッションを受け、元のHazimに戻りました。

息子を治してくれただけではなく、MdMはそれ以上のもの、健康であることの喜びを私たちにもたらしてくれました」


サナア県Al Haymah Al Dakhliyah郡
Ghabash Hormat Bani Yousf村
Boddor Ali Jiraydは母親になったばかりの35才


「Ghabashの母子健康センターで、MdMのサポートを受けなければ、私たちは死んでいました。
出血があったのは、妊娠9ヶ月目でした。
MdMがこの村に来る前に、同じような症状にかかった少女は亡くなってしまった。
私も彼女みたいに死んでしまうのかと、怖くてしょうがなかった。

運よく、母子健康センターに入院でき、帝王切開をすすめられました。
MdMからの紹介で、Al Er Rural病院に搬送され、そこで健康な赤ちゃんを出産しました。その1週間後に退院しました。

MdMには心から感謝しています」


労働者の街サナア県サワン地区Amant Al Asimah
Noryah Yahya Yahya 67才女性


「私は15年間、慢性の病気や関節痛に苦しんでいます。
そして、長い間、高額な薬代にも悩んでいました。

今は、MdMのおかげで薬代の負担が減りました。
これまで、年間25,000リアル以上の費用がかかっていたのに、今では支給されるようになりました」

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